宇宙工学

‟宇宙旅行の父” 考案していた多段式・液体燃料ロケット

ツィオルコフスキー,コンスタンチン・エドゥアルドヴィチ(1857~1935年、宇宙工学、ロシア)

 人類の宇宙進出の第一歩を記したのが、1957年10月4日にソビエト連邦(現ロシア)が打ち上げた人工衛星「スプートニク1号」だ。

 この打ち上げ成功のニュースを当時、タス通信は「ロケットを利用して宇宙旅行を行う可能性は、ソ連の科学者コンスタンチン・ツィオルコフスキーによって実証されていた。人工衛星は世界の科学と文化に大きな貢献をするだろう」と誇らしげに伝えたという。

 その科学者ツィオルコフスキーこそが19世紀末から20世紀初頭にかけて世界に先駆け、液体燃料ロケットによる宇宙空間飛行の科学的な実現性を示した最初の人だった。今では「宇宙旅行の父」とも称される。

 例えば彼は、地球を回る人工衛星となるために必要な速度(第一宇宙速度:秒速約7.9km)や太陽を周回するために必要な速度(第二宇宙速度:秒速約11.2㎞)、さらには太陽系から飛び出すための速度(第三宇宙速度:秒速約16.7㎞)を計算した。

 そのような秒速レベルの高い推進力を得るために考案したのが、高速でガスを噴射するロケット。しかも最大の燃焼温度が得られるために、液体水素と液体酸素を組み合わせた「液体燃料」を使い、最大速度を得るために、燃え尽きたロケットを次々と切り離していく「多段式」とすることなど、米国のスペースシャトルや日本のHⅡロケットなどにも使われている基本的な技術や方法を、とっくの昔に考え出していたのだ。

 そんな天才的な彼は、しょう紅熱のために10歳ごろから難聴となった。しかも家が貧乏だったため、小中学校にも通えなかった。16歳のころにモスクワに出ると、彼は図書館で本を読み、黒パンだけの食生活をしながら、独学で大学並みの数学や物理学などの勉強をした。やっと資格試験にパスして20歳のころに中学校の数学教師となり、そのかたわら宇宙に対する研究を熱心に続けた。ジュール・ヴェルヌのSF『月世界旅行』を愛読し、自らSF小説も書いたという。

 1897年にロケットの噴射ガスの速度や質量、最大速度などに関係する「ツィオルコフスキーの公式」を発表した彼は、1903 年にはそれまでの研究成果をまとめた論文「反作用利用装置による宇宙探検」を発表した。その中で、宇宙旅行や「軌道エレベーター」の可能性、液体燃料ロケットの実現性について設計図を添えて示した。

 その後しばらくは不遇な生活を送るが、1917年に起きたロシア革命を機に彼の研究業績が評価され、1919年にはソ連科学アカデミーの会員となってロケット研究に専念し、米国に先駆けての宇宙開発に取り組んだ。

 世界中を驚かせた1957年のスプートニック1号の打ち上げは、ツィオルコフスキーの生誕100年と国際地球観測年を記念して行われたものだった。

 「今日の不可能は、明日可能になる」。彼の言葉だ。