科学全般

知らずに動脈硬化を描画 比類なき観察力に「モナ・リザ」も微笑

レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519年、科学、イタリア)

 自転車や飛行機、ヘリコプター、パラシュートなどは今では珍しくもないが、約500年も前に、その実現を科学的な確信をもって想像していた人がいる。

 修道院の壁画『最後の晩さん』や女性の肖像画『モナ・リザ』などで有名な、ルネサンス期を代表する芸術家で科学者、技術者でもあったレオナルド・ダ・ヴィンチだ。彼は世界に比類のない「万能の天才」だったと言われている。

 イタリア中部の旧フィレンツェ共和国ヴィンチ村に生まれたレオナルドは、学校には通わず、村の青年からラテン語や幾何学などを教わったという。絵画の才能は、幼少のころから現れた。近所の農夫が持ってきた木の楯(たて)に、いたずらしてコオロギやコウモリ、カマキリなどの絵を描いてしまった。ところが、あまりの見事さにその農夫や周りの人が驚き、それをきっかけに父は、レオナルドを芸術の道に進ませることにした。

 14歳の時(1466年)に、フィレンツェで最も優れた芸術家ヴェロッキオに弟子入りしたレオナルドは、その後めきめきと腕を上げた。1472年のある日、ヴェロッキオの工房に地元の修道院から、3年がかりで絵画『キリストの洗礼』を制作する依頼があった。ヴェロッキオは弟子たちにも手伝わせて制作を進めたところ、天使や背景などを描いたレオナルドの彩色や表現の技量が、かなり優れていることに気がつき驚いた。その時からヴェロッキオは、絵画の制作をレオナルドに任せ、自分は彫刻を専門に取り組むことにしたという。

 さらに『キリストの洗礼』のキリストや洗礼者聖ヨハネには「人体の解剖学的構造への著しい関心」も見て取れる。それもそのはず、レオナルド自身は「自然の姿を描くために、自然そのものを知ろう」との態度で美術の制作に臨み、そのために生涯で約30体の人間の死体を解剖し、詳細な解剖図を残した。その中には知らずに、世界で初めてとなる「動脈硬化の病変」も描いていた。

 レオナルドが40年にわたり自分が観察したり、考察したりしたことを記したノートが『レオナルド・ダ・ヴィンチ手稿』として残っている。現存するのは全体の3分の1の約5000ページと言われ、内容は数学や幾何学、天文学、動物学、軍事技術、教会建築、力学、解剖学、地理学、光学などと多様な分野に及ぶ。

 それらによると、レオナルドは巨大な騎馬像の彫刻を制作するために馬の解剖も行い、飛ぶ鳥の観察から人間が飛ぶための「飛行機」を考案した。さらに地質学や植物学の分野での観察も熱心に行ったほか、治水土木のために水流や水圧などの原理を実験によって確かめ、ネジと歯車を組み合わせたジャッキやポンプなどの機械も考えた。

 そればかりか、コペルニクスが太陽中心説(地動説)を発表する30年前には「地球が太陽を中心に回っている」ことを見抜き、ニュートンのはるか200年も前に「慣性運動や加速度運動などの力学を認識していた」とも言われている。

 ところが、こうしたレオナルドに対しては、ラテン語や数学などの正式な教育は受けておらず、科学的な取り組みも観察が主で理論立てがないとして「あくまでも芸術家であり、科学者ではない」との批判や見方も、古今東西の識者界にはあるようだ。

 とは言われつつも、レオナルドの科学は芸術の中に息づき、時代を越えて感動を与え続ける。

 〈メモ〉「レオナルド・ダ・ヴィンチ手稿」は弟子らの相続後に幾度かの再編と購入者の変更を経て、現在は十数編の手稿に分割されて残されている。このうち、1719年の購入者名が付いた「レスター手稿」(執筆1504-8年、72ページ・36枚)は、1994年11月のニューヨークでのオークションでビル・ゲイツが時価3080万2500ドル(約30億円)で落札し、名称も「ハマー手稿」から元の「レスター手稿」に戻した。ゲイツは全ページをデジタル画像化し、そのいくつかをWindows 98のスクリーン・セーバーなどに使った。