科学全般

「知」を愛した古代ギリシアの哲人 まずは自然の観察から

アリストテレス(紀元前384~同322年、哲学・科学全般、古代ギリシア)

 紀元前4世紀に古代ギリシアからエジプト、ペルシャにわたり征服したマケドニアの国王アレクサンドロス3世(アレクサンドロス大王、紀元前356~同323年)の少年時代の家庭教師を務めたのがアリストテレスだ。アリストテレスはソクラテス、プラトンに続く古代ギリシア3哲人の一人。

 父はマケドニア王( アレクサンドロス大王の祖父)の侍医だったといわれるが、アリストテレスが幼少のころに両親は亡くなり、義兄の保護の下に育てられた。17、8歳のころ、師プラトン(紀元前427年~同347年)がアテネの森につくった学園「アカデメイア」に入り、そこで約20年間、学徒として過ごした。彼はとても勉強熱心で、プラトンは「ほかの者には(指導の)ムチがいるが、彼には(休憩させる)手綱がいる」と言ったほどだという。

 プラトンが死ぬと、37歳のアリストテレスはアカデメイアを去り、小アジア(現在のトルコ)で生物学や博物学などを研究した。42歳の時にマケドニア国王に要請されて約3年間務めたのが、 アレクサンドロス大王(13~16歳)の家庭教師だった。アリストテレスはアレクサンドロス大王のための学園を作り、そこで弁論術や文学、科学、医学、哲学などを教えた。学園ではほかの貴族階級の子弟たちも アレクサンドロス大王の学友として一緒に学んだ。その後、 アレクサンドロス 大王が紀元前336年に国王に即位すると、翌年にアリストテレス(49歳)はアテネに戻り自分の学校「リュケイオン」を建てた。

 「リュケイオン」でのアリストテレスの学問は自然科学だけでなく政治や法律、倫理学、詩学、演劇学など人文・社会科学のすべての分野にわたった。彼の講義をまとめた著作集は約150巻にも及ぶというから、学問的なボリュームはまさに大百科事典並みだった。これらの講義を、彼は学内の屋根付き廊下を歩き、学生たちと議論しながら行ったという。

 アリストテレスの自然に対する学問的態度は「現象を観察し、原因を考えること」だった。例えば観察によって月食の時の地球の影が丸いことや、北の国に行くほど南の星が見えなくなることを知っていたことから、彼はいち早く「地球は球形である」と断言していた。

 さらに約500種の動物を分類し、そのうち約50種を自分で解剖して詳しく調べた。その結果「イルカやクジラが魚ではなく哺乳類であること」や「鋭い牙と角を同時に持った動物はいないこと」などを明らかにしていた。中には「ウナギは泥の中のミミズが大きくなったもの」という驚くような珍説もあるが、アリストテレスの学問はその後の西欧社会に大きな刺激を与えたことは間違いないようだ。

 ※プラトンの「アカデメイア」、アリストテレスの「リュケイオン」はともに紀元前529年に東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌス1世によって閉鎖されるまで続いた。

 ※アリストテレスは、人間の本性は「知を愛すること(ギリシア語でフィロソフィア)」と考えた。フィロは「愛する」、ソフィアは「知」を意味し、フィロソフィアがヨーロッパ各国の「哲学」を意味する言葉の語源となった。日本語で「哲学」の訳語をあてたのは明治初期の思想家、西周(にし・あまね、1829~1897年)といわれる。