トーマス・アルバ・エジソン Thomas Alva Edison
(1847年2月11日~1931年10月18日、物理・電気工学、米国)
科学者の「なぜ?」「どうして?」という疑問や好奇心が、科学そのものを進歩させてきた。「天才」とは、そうした探求心がとくに強いものらしい。
「なぜ?」「どうして?」
小学校に入ったばかりのエジソン君。先生に次々といろんな質問をするので、授業がちっとも進まず、先生を困らせた。
「この子、ちょっとおかしいのでは?」と、先生がエジソン君の母親に相談すると、母親は「それならば、私が教えます!」と怒ってしまったというから、その母親もたいしたものだ。
列車内に作った実験室
わずか3カ月で小学校を退学したエジソン君は、家で母親から勉強を教わり、中でも理科の実験に興味をもった。地下室で一日中、実験や工作に没頭した。ところが家が貧乏だったため、12歳の時に鉄道の新聞売り子となり、実験器材を買い集めた。その熱心さも認められて、とうとう列車内に実験室を作ってしまった。
蓄音機を発明、白熱電球の改良も
大人になったエジソンはますます研究に打ち込み、電話機を開発し、蓄音機なども発明した。さらに1879年にはそれまでの白熱電球を改良し、約40時間も輝かせることに成功した。
探したフィラメントの適材
その白熱電球の光る部分(フィラメント)には、今でこそ細いタングステンの金属線が使われているが、エジソンは木綿糸を蒸し焼きにした炭素線を使った。しかし作るのに手間がかかり、すぐに切れやすい欠点もあったので、そのまま実用化には至らなかった。
扇子に着目、選んだ日本の竹材
そこでエジソンは「もっとよい材料を」と、数千種類の物質をつぶさに試した。そして研究室にあった扇子の竹材に着目し、行き着いたのが京都府八幡市産の竹だった。その竹フィラメントの電球は1200時間以上点灯し、京都産の竹はその後9年間に数百万個の「エジソン電球」に使われたという。
生涯に1000件以上の特許を取得した発明王エジソン。「天才とは1%のインスピレーション(ひらめき)と99%のパースピレーション(汗水・努力)だ」との言葉を残した。