天文学

天体望遠鏡で人類初観測 知らぬ間に発見していた海王星 

ガリレイ,ガリレオ(1564~1642年、数学・物理学・天文学、イタリア)

 「水、金、地、火、木、土、天、海」──とは、私たち太陽系の8個の惑星を、太陽に近い方から順に並べたもの(水星・金星・地球・火星・木星・土星・天王星・海王星)だ。実は、海王星の外側にはもう一つ9番目の「冥(めい)王星」があって、1930年に発見されて以来、太陽系は9兄弟とされていたが、2006年の国際天文学連合(IAU)の総会で「惑星」の定義が見直され、冥王星は外れて太陽系外縁の「準惑星」に区分された。

 さて、その8番目、海王星の話。第7番の天王星は1781年に発見されていたが、計算された軌道にずれがあることから、外側にもう一つの惑星があり、それが天王星の軌道に影響していると考えられた。8番目の惑星を予測し計算したのがフランスの天文学者ユルバン・ルヴェリエで、1846年9月にその予測通りの位置で、ベルリン天文台のヨハン・ゴットフリート・ガレと学生が新惑星を発見した。それが海王星だった。

 ところがガレよりも230年余りも前に、イタリアのガリレオ・ガリレイ(姓がガリレイ、名がガリレオ)が、海王星を発見していたのだ。それも本人が“知らないうち”にだ。

 ガリレイは、自然現象の解明に「仮説を実験によって検証する」という科学的な手法を初めて用いたことから「近代科学の父」といわれる。天文学の分野でも、自作の「ガリレオ式望遠鏡」で人類として初めて天体を観測し、月面の凸凹(クレーター)や木星の4個の衛星(ガリレオ衛星)や太陽の黒点など、さまざまな発見をしたことから「天文学の父」とも称される。

 そのガリレイが残した木星観測の日誌(1612年12月28日と翌年1月27日)の中では、4個のガリレオ衛星の位置関係を示すために、周辺に見える「恒星」も一緒に書き込んでいた。恒星は太陽のようにはるか遠くで、自ら光を放って輝いている星だが、ガリレイが記入していた場所(方向)に恒星はない。その星は自分では光らない「惑星」であり、それこそが海王星だったのだ。

 海王星は太陽を回る公転周期が165年と長いので、海王星の発見に至る正確な軌道の計算と予測のために、ガリレイとその後の幾人が残した天体記録が大いに役立ったらしい。

〈メモ〉地動説と2回の宗教裁判

 ガリレイは自分の天体観測を基に地動説を唱えた。その解説書『天文対話』を1632年2月に発行すると、翌33年、ローマ教皇庁の「検邪聖省」に出頭するよう命じられた。「ガリレイは1616年の裁判で有罪の判決を受け、二度と地動説を唱えないと誓約したにもかかわらず『天文対話』を発刊した」という嫌疑だった。

 ガリレイは「16年前の裁判では地動説の放棄を誓っていないし、悔い改めが強要されたこともない」と反論したが、有罪が告げられ「地球が動く」という説を放棄する旨の「異端誓絶文」を読み上げさせられた。その後ガリレイは「それでも地球は動いている」と言ったとか、言わなかったとか、定かではない。ガリレイはフィレンツェの自宅ではなく、監視付き邸宅に一生住まわされた。

 こうしたガリレイに対し、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は1983年5月9日、裁判が誤りであったことを認めて謝罪した。ガリレイの2回目の裁判から実に350年後のこと。さらに教皇ベネディクト16世は2008年12月21日、国連・ユネスコが定めた「世界天文年2009」に関連した説教で、ガリレオらの業績を称え、地動説を改めて公式に認めた。