物理学

科学好きの人間嫌い 重要な研究成果を発表せず

キャベンディッシュ,ヘンリー(1731~1810年、物理学・化学、英国)

 「万有引力の法則」を発見したアイザック・ニュートン(1643~1727年)が死んでから4年後、ヘンリー・キャベンディッシュが生まれた。貴族の長男として莫大な遺産を引き継いだ彼は生まれながらに大金持だったが、寡黙で極度の人間嫌いだったという。

 キャベンディッシュは1749年に、ニュートンも通ったケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学した。大学では物理学と数学の成績がよかったが、1753年に退学してしまった。大学を卒業するには面接試験があるが、彼は教授たちと顔を合わせるのが嫌だったので、卒業前に辞めてしまったとも言われる。

 その後彼は、自分の屋敷に閉じこもって研究に没頭するようになった。ところが、自分が2、3歳のころに母親を亡くしたせいか極度の女性恐怖症で、女性の使用人と顔を合わせようとしない。うっかり目を合わせた女性使用人はすぐに解雇されてしまったほどだ。そのため彼は、食事のメニュー(とくに羊の肉が好きだった)や用事を、すべてテーブルの上のノートに書いて指示していたという。

 そんな「人間嫌い」のキャベンディッシュも1760年から王立協会の会員となり、毎週の会合にも欠かさず出席し、死ぬまで会員であり続けた。ところがその会合でも、自分の機嫌が良く、他人の興味のある話には自ら加わることがあったが、ほとんどは直接彼に話しかけても答えが返ってくることは無かったそうだ。

 キャベンディッシュは1766年以降、王立協会で計18編の研究論文を発表している。同年の論文では《亜鉛や鉄、スズなどの金属を硫酸や塩酸に浸すと、とても軽い可燃性の気体が発生する》との実験結果を示した。この気体こそが「水素」だった(「水素」の名前は後にラボアジェが付けた)。さらに、その気体を空気中で燃やすと水滴ができることから、水は水素と酸素が結合してできる化合物であることをつかんだ。さらに水素と窒素を反応させると、硝酸が生成することも発見した。空気にはこれら酸素、窒素のほかに、どんな物とも反応しない不活性ガス(後に「アルゴン」)も少しだけ含まれていることも、彼は発見していた。

 そして彼が1797から1798年にかけて行ったのが、地球の密度(比重)を求める「キャベンディッシュの実験」だった。ワイヤーで吊るした長さ約1.8mの木製の天秤棒の両端に、直径約5㎝・重さ約0.7㎏の鉛の小球を取り付け、それぞれの小球に直径約30㎝・重さ約158㎏の大きな鉛球を近づけた。すると、大小両球の間の「引力」によってワイヤーはねじれた。そのねじれ力(トルク)を測定して、質量がすでに分かっている大鉛球の小鉛球に対する引力と、地球の小鉛球に対する引力を比較することで、地球の密度(比重)は水の約5.448倍であることが分かった。

 この実験で得られた測定値を基に、万有引力の法則で不明だった「万有引力定数」を高精度で求められることが1873年に示され、 改めてキャベンディッシュの実験や成果が見直された。

 ほかにも、キャベンディッシュは他の科学者に先んじて重要な実験結果を得ながら、未発表のまま残したものも多い。その中にはジョン・ドルトンやジャック・シャルルによっても研究された気体の蒸気圧や熱膨張に関する研究実験や、後に「クーロンの法則」(1785年)や「オームの法則」(1826年)として知られる電気に関する研究実験などもあった。

 これら埋もれていたキャベンディッシュの研究業績をまとめ、1879年に論文集を発行したのが、ケンブリッジ大学に創設されたキャベンディッシュ研究所の初代所長ジェームズ・クラーク・マクスウェルだった。