ジョゼフ・ジョン・トムソン Joseph John Thomson
(1856年12月18日~1940年8月30日、物理学、英国)
電流は+→- 電子は-→+
電池にはプラス極(陽極)とマイナス極(陰極)がある。電池での「電流」はプラス極からマイナス極に流れるが、その反対に「電子」はマイナス極から出てプラス極に入る。
こうした逆転が起きたのは、イギリスの物理学者ジョセフ・ジョン・トムソンが、1897年に電子の存在を確定させたことがきっかけだった。
マイナス極から「陰極線」
ガラス管の中にマイナス極とプラス極を置いて数万ボルトの高電圧をかけ、徐々に空気を抜いて行くと放電現象が起きる。さらに空気を抜くと、マイナス極から「陰極線」という光のビームが出てくる。
当時、陰極線の研究で先行していたドイツの研究者たちは、陰極線の途中で電圧をかけても、陰極線の進行方向が曲がらないことから「陰極線は電気とは無関係だ」と考えた。
気体の放電現象について研究していたトムソンは、レントゲンが陰極線の実験中にX線を偶然に発見したこと(1895年11月)を知り、自分でもX線と陰極線の実験に取り組んだ。
そのうちに「X線を発生させる陰極線の正体は、電気を帯びた粒子だ」と考えるようになったが、それではドイツの実験結果と矛盾する。
真空度を高めて実験
「ひょっとして、ドイツの実験は空気の抜き方が足りなかったのでは」と思い、ガラス管の真空度を高めて、改めて実験をした。
その結果、電圧をかけると陰極線は簡単に曲がり、粒子の集まりであることが証明されたのだ。しかもその粒子は、水素原子の1000分の1の質量をもつことが分かった。その粒子こそが「電子」だった。
※トムソンは当初、その粒子に別の名前を付けたが、1891年にアイルランドの物理学者が「電子(electron)」という呼称を提案し、これが一般に使われるようになった。
‟ブドウパン”原子モデル
さらにトムソンは原子の構造についても、原子自体が電荷を帯びていないことから、正の電荷の球の中に同数の電子が散りばめられているような「ブドウパン」モデルあるいは「プラム・プディング」モデルという原子模型を1904年に提唱した。
なお同じ年には日本の物理学者、長岡半太郎は原子核の周囲を多くの電子が回っている「土星型」モデルを提唱した。後に弟子のアーネスト・ラザフォードが実験で長岡の土星型モデルの正しさを示した。
トムソンは、こうした電子の流れ(電気伝導)に関する研究の功績で1906年にノーベル物理学賞を受賞した。
〈メモ〉トムソンが所長を務めたキャベンディッシュ研究所からは、ラザフォード(1908年ノーベル化学賞受賞)をはじめとする、原子物理学を築いた多くのノーベル賞受賞者が出ている。息子のジョージ・トムソンも電子の波動的性質を証明したことで、1937年にノーベル物理学賞を受賞した。