アレッサンドロ・ボルタ Alessandro Giuseppe Antonio Anastasio Volta
(1745年2月18日~1827年3月5日、物理学、イタリア)
ナイフを当てたカエルの足がけいれん!
今の日本ではなじみがないが、18世紀のイタリアではカエルを「薬」として食べていたという。
ボローニャ大学の医学教授で解剖学者のルイージ・ガルバニ(1737~1798年)が1780年、ある発見をした。
病気になった妻がカエルを食べようとして、皮をはいだカエルの足にナイフを当てたところ、突然、足が激しくけいれんした。
「動物電気」?
これよりも前に、電気の火花を死んだカエルに当てると筋肉がけいれんすることを知っていたガルバニは、妻の話を聞いて「金属が触れるとカエルの中にたまっていた電気が発生し、神経が刺激されて筋肉が動いたものだ」と考えた。さらに自分で実験を重ねて、1791年に「動物電気」と名付けて発表した。
これに疑問をもったのが、同じイタリアのパヴィア大学教授の物理学者アレッサンドロ・ボルタだった。
むしろ金属電気だ!
ボルタは、他の人が行った実験を思い出し、自分で再度試した。舌にスズと銀を当てると何やら酸っぱい味がするが、二つの位置を取り替えるとその味はしなかった。これをまぶたの上で行っても、二つの金属の当て方によっては「目から光が出たよう」に見えた。
これらのことから、ガルバニの「動物電気」について、ボルタは「2種類の金属が電気を起こしたのだ。これは動物電気ではなく、むしろ金属電気だ」と考えた。
「ボルタの電堆(でんたい)」
そして1794年にボルタは、円盤状の銅と亜鉛の間に塩水で濡らした布切れをはさみ、これを50~60枚もハンバーガーのように積み重ねた装置「ボルタの電堆(でんたい)」を作った。その上下の両端に電線をつないで電気を発生させて見せたのだ。
世界初の発明「ボルタ電池」
ボルタはさらにこれを発展させて、容器に入れた塩水に銅と亜鉛を電極として浸した電気の発生装置を1800年に発明した。これが世界最初の電池「ボルタ電池」となった。当時発生した電圧は約0.76V(ボルト)だったという。この電圧の単位ボルトは、ボルタの名前にちなんだものだ。
ナポレオンから伯爵の称号
ボルタはフランス皇帝ナポレオンの前でも実演し、金メダルと勲章のほか伯爵(しゃく)の称号をもらったという。
〈メモ〉「乾電池」の発明は日本人:欧米では「ボルタ電池」を改良した「ダニエル電池」なども開発された。この電池に関する書籍がオランダから幕末の日本に入り、学者の佐久間象山も自作したという。しかし当時の「液体電池」には携帯性や電解液の維持、冬場の凍結などの問題があった。それらを解決し、現在の電池とほとんど変わらない固体式の「乾電池」を世界最初に1887年(明治20年)に発明したのが、新潟県長岡市出身の職工、屋井先蔵(やい・さきぞう、1864~1927年)だった。屋井は自分が発明した「連続電気時計」の電源として電池を開発したのだ。屋井の発明はドイツ人とデンマーク人による乾電池の特許(発明)より1年前のことだった。