物理学

水銀柱の実験で「真空」出現 気圧計の発明者に

エヴァンジェリスタ・トリチェリ Evangelista Torricelli
(1608年10月15日~1647年10月25日、数学・物理学、イタリア)

世界一長いストローは? 

 ジュースを飲む時など、ふだん何気なく使っているストロー。今では地球環境のゴミ問題などでプラスチック製のものは排除される方向だが……、では、ここで問題。「世界一長いストロー」とは、どのくらいの長さになるだろう?

 答えは約10m。ストローがそれ以上の長さになると、ジュースなどを吸い上げることはできない。いくら「私の吸う力は強い」と言っても、それは無理というもの。

坑道、噴水の問題

 実は17世紀のヨーロッパの鉱山技師たちも、この問題で悩んでいた。当時はすでに、ピストンの運動によって真空に近い状態にしたシリンダー内に水を吸い上げる「吸引ポンプ」が開発されていたが、地下10mを超えるような深い坑道にたまった水を地上まで吸い上げ、排水することは不可能だった。

 この問題は、イタリア・トスカーナ大公国のフィレンツェ宮殿の庭園でも起きていた。1635年ごろ造られた噴水には吸水ポンプが設置され、地下深くの井戸から水をくみ上げる仕組みだったが、完成しても井戸水は10m以上がって来なかったのだ。

ガリレイにも解けなかった

 困ったトスカーナ大公はやむなく、地動説を唱えて宗教裁判で有罪判決を受けフィレンツェで監禁生活を送っていたガリレオ・ガリレイ(1564~1642年)に調査を依頼した。しかし、ガリレイも明確に答えることはできず、他の科学者にも問題を示し説明を募った。それに見事に応えたのが、ガリレイの弟子のエヴァンジェリスタ・トリチェリだ。

「空気には重さがあり、これがポンプの水を押し上げているのではないか」。こう考えたトリチェリは、ガリレイの死んだ翌年の1643年に、水の約14倍も重い水銀を使って実験をした。水を使っては約10mのガラス管が必要となり、実験装置が大掛かりとなるからだ。

気圧と釣り合った水銀柱

 彼は、一端を閉じた長さ120㎝のガラス管に水銀を満たし、容器の水銀の中に逆さに立てた。するとガラス管の水銀は高さ76㎝まで下りて止まった。大気の重さ(気圧)と高さ76㎝の水銀の重さが、ちょうど釣り合ったのだ。この水銀柱が水ならば、76㎝×14倍で10.64m、すなわち高さは約10mとなる。

 そして、水銀が下りてガラス管の先端にできた空間こそが、人類が最初につくった真空(トリチェリの真空)だった。

 この実験でトリチェリは、さらに面白いことに気が付いた。水銀柱の高さが日によって、わずかながら変化していたのだ。これは日々の気圧の変化を示すもので、トリチェリが水銀気圧計の発明者となった。

数学者だったトリチェリ

 トリチェリは、イタリア北東部の町ファエンツァに織物職人の長男として生まれた。地元のイエズス会の学校で数学と哲学を学び、その後はローマでガリレイの弟子のカステリ(1577~1643年)の助手となり、1641年からフィレンツェのガリレイの弟子となった。ガリレイの死後はトスカーナ大公付きの数学者となったが、間もなく腸チフスのため39歳で亡くなった。

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