グリエルモ・マルコーニ Guglielmo Giovanni Maria Marconi(1874年4月25日~1937年7月20日、電気工学、イタリア)
「電信」は有線による通信
電気通信(電信)機を実用化し、モールス符号を発明するなどして「電信の父」と呼ばれるのはサミュエル・モールス(1791~1872年)。しかし当時は有線による通信だったので、その電線を張るのが大変だったらしい。大西洋をまたぎ英国・米国間に海底電線を敷く作業工事に至っては、1852年に始められたが何度も途中でつまずき、10年以上もかかってやっと1866年に成功したという。
「無線の父」マルコーニ
電線を使わずに、電波で信号を送る無線通信技術を実用化したのが「無線の父」と呼ばれるイタリア人のグリエルモ・マルコーニだった。
裕福な地主の家に生まれたマルコーニは内気な性格だったこともあって、学校には行かず、何人もの家庭教師をつけてもらって学んだ。とくに興味をもったのが電気で、大学教授から直接教わったという。
ヘルツの雑誌記事で電波に興味
20歳のとき、その教授から科学雑誌を借りて読んだ、電波(電磁波)の存在証明の実験(1888年)を行ったハインリヒ・ヘルツ(1857~1894年)の追悼特集記事を読み、電波を利用した無線通信を思いついた。
初実験で2.5㌔間の無線通信に成功
自宅の研究室で実験を重ねたマルコーニは翌年(1895年)、無線通信の屋外での初実験に成功した。方法は、自分で考案の送信アンテナで電波を飛ばし、弟が受信機を持ち歩いて、信号を受信するたびに白旗を振って合図するというものだった。白旗の見えない山陰では、狩猟用ライフルの銃声を鳴らして知らせた。この実験では約2.5km間の通信に成功したという。
英国に持ち込み認められる
こうした無線システムは「いずれ商業的にも軍事的にも価値あるものになるはず」とマルコーニはにらんだが、イタリア政府には見向きもされなかった。
そのためマルコーニは1896年に母親と一緒に英国に渡り、開発を応援してくれる支援者を探した。英国に入国する際には、持参した無線装置を爆破装置と間違えられて、税関の人に壊されたりしたが、英国政府は実用性に着目し、すぐに特許が認められた。
海外に無線局、船舶間の無線通信にも成功
会社を設立したマルコーニは1900年までに英仏や米国、カナダなどに無線局を設置し、陸上と船舶、船舶と船舶の間の通信にも成功するなどして、無線通信は世界に広がった。この技術の確立でマルコーニは1909年にノーベル物理学賞を受賞した。
タイタニック号事故を教訓に
無線通信のいっそうの有効性と重要性を示した出来事が、1912年の豪華客船タイタニック号の遭難事故だった。これを教訓に、外洋を回る大型船舶への無線装備の設置が義務付けられた。