工学

特許競争に勝利し 実用電話の発明者に

ベル,アレクサンダー・グラハム(1847~1922年、電気工学・音響学・音声生理学、米国)

 早いもの勝ち──科学の世界でも「一番乗り」が重要だ。同じような発見や発明をしても、タッチの差で勝ったり敗れたりすることがある。実用的な電話機の発明者として知られるスコットランド生まれの米国人、ベルの場合もそうだった。

 電話機には話す側の「送話器」と聞く側の「受話器」がある。基本的な原理は、電磁石のそばに置いたうすい鉄板に向かって声を出すと、鉄板が震動して電磁石に電流が流れる。これの原理を応用したのが電磁式電話機の「送話器」で、逆に、その電流の信号を、電話線を通じて別の電磁石に伝え、鉄板を震動させて音を出して、聞こえるようにしたのが「受話器」だ。

 このような仕組みの電話機をベルが考案し、1876年2月14日に特許を申請した。ところが、米国のエライシャ・グレイという人も、まったく同じ日に同じような電話機の特許を申請していたのだ。「だれが一番乗りか」をめぐり審議されたが、結局ベルが約2時間早く申請していたことで、3月3日にベルの特許が認められた。

 特許取得の後、さっそくベルは3月10日に通話実験を行い、同年5~11月には米国百年記念のフィラデルフィア万国博覧会にも出品して、国際的な注目を集めた。さらに翌年にはベル電話会社を設立し、電話の本格普及に乗り出した。

 ベルの名は世界中に広がった、日本にはベルの発明特許の翌年(1877年)には電話機が輸入された。というのも、前年3月の通話実験の直後、たまたま米国に留学していた2人の日本人、伊沢修二(のちの東京音楽学校長)と金子堅太郎(のちの司法大臣)が実験成功のうわさを聞いてベル宅を訪ね、自分たちも電話で通話をさせてもらった。それがきっかけで、いち早く電話機が日本に伝わったという。日本での電話の実用化は1888年ごろから進み、東京・横浜間では1890年に電話線が開通した。

〈メモ〉実用電話を発明したベルだが、実はベルが特許を取得するよりも15年ほど前の1861年10月、ドイツの学校教師フィリップ・ライス(1834~1874年)がフランクフルト物理学会で電話機(ライスの電話、テレフォン)を公開した。基本原理はベルと同じ。というより、ボストン大学やろう学校で音響学や音声生理学の教授をしていたベルが、音声を電気的に伝送するライスの発明を知り、独自の工夫で、より実用的な電話機を作ったというのが技術史的な流れのようだ。

 またこれとは別に、米国に移住したイタリア生まれのアントニオ・メウッチ(1808~1889年)も1871年12月に特許保護願を申請したが、74年に保護願の延長料金を支払えずに失効した。しかし米国議会は2002年6月、メウッチが電話の最初の発明者として公的に認めた。

 なお、ベルの母と妻は聴覚障害者で、ベル本人はろう者のための教育と研究を生涯の目的としていた。三重苦で知られるヘレン・ケラー女史に家庭教師のサリバン先生を紹介したのもベルだった。発明者としてのベルは、水中翼船や航空機などにも広く関心をもち研究していたという。