工学

実用的な蒸気機関車 世界に招いた鉄道時代

スチーブンソン,ジョージ(1781~1848年、機械工学、英国)

 蒸気による動力機関(蒸気機関)を実用化したのはジェームズ・ワット、1765年のことだ。これを鉄道に利用して、1814年に初めて実用的な蒸気機関車を走らせたのが、後に「鉄道の父」と称される、同じ英国の技術者ジョージ・スチーブンソンだった。

 貧しい家に生まれたスチーブンソンは学校にも行けず、小さな頃から父と同じ炭坑で働いた。18歳のときに「やはり無学ではいけない」と、働きながら夜間学校に通って、読み書きや算数を学んだ。1801年(20歳)には、炭鉱の縦坑の巻上げギアを操作する蒸気機関の「制動手」となり、さらにその後も独学で機械の仕組みを勉強するなどして、技術職人としての腕を磨いた。

 1811年のある日、炭鉱の汲み上げポンプが故障した時には、派遣されてきた一流の技師たちが直せずにお手上げ状態だったのにもかかわらず、スチーブンソンがそれを見事に修理してしまった。それが認められて、スチーブンソンは機関士長に任命され、近隣炭鉱の機械の面倒も見ることになった。

 また当時の炭鉱では、坑内での明かり取りの炎が原因で爆発事故がよく起きていたことから、スチーブンソンは1815年に植物油を燃料とした安全灯(ジョーディ・ランプ)を発明した。この坑内安全灯については英国で著名な化学者で発明家のハンフリー・デイビーも同年、似たような仕組みの「デイビー・ランプ」を発明した。そのため、無名なスチーブンソンにアイデア盗用の嫌疑がかけられたという。

 ちょうどそのころ、炭鉱の仕事でスチーブンソンが考えていたのが、採掘された石炭を蒸気機関車で運搬することだった。当時の炭鉱や製鉄所では、石炭や鉄鉱石を積んだレール上の台車を、馬が引いて運んでいた。「馬車鉄道」というものだったが、馬の飼料代は高く、運搬の効率もよくなかった。

 実は世界最初の蒸気機関車(ペナダレン号)は1804年2月に、英国の機械技術者リチャード・トレビシック(1771~1833年)が10トンの鉄と5両の客車に70人を乗せて、約4時間がかりで約16㎞の距離を輸送することに初成功していた。平均時速は約3.9kmだった。その後も複数の技術者がそれぞれに蒸気機関車を走らせているが、いずれも蒸気機関の性能や車輪の構造、レールの材質などに問題があって実用化には至らなかった。

 その実用化への第一歩を踏み出したのがスチーブンソンだった。彼は1814年7月25日、自宅裏の作業場で製作した蒸気機関車(ブリュヘル号)の初走行で、坂を時速6.4kmで上り、約30トンの石炭を運ぶことができた。このとき、脱輪防止のために初めて輪縁(フランジ)付きの車輪を採用した。

 その後もスチーブンソンは、蒸気機関の改良やレールの構造設計、材質改善などの研究開発に取り組んだ。1825年9月に開通したストックトン~ダーリントン(区間約40㎞)では、蒸気機関車「ロコモーション号」で約600人乗り客車と石炭の貨車の計38両を引き、時速25㌔で走った。続いて完成させた高性能の蒸気機関車「ロケット号」では、1830年9月開通のリバプール~マンチェスター間(約45㎞)を平均時速58㎞で走行した。

 ここに世界中で、本格的な鉄道輸送時代が始まった。フランスでサンテチェンヌ~リョン間に最初の鉄道が敷かれたのは1832年。ドイツのニュルンベルク~フュルト間が開通したのは1835年12月、オランダでは1837年、アムステルダムからハーレムまでの鉄道が開通した。アメリカでは1828年にはボルチモア~オハイオ間で鉄道が敷かれ、1831年7月から蒸気機関車による営業運転を開始した。その後各州で蒸気機関車の運転が始められた。日本では1872(明治5)年10月14日に新橋~横浜間で最初の鉄道が開業した。英国社製の蒸気機関車(1号機関車)が導入された。