工学

効率・馬力アップの蒸気機関 産業革命の動力源と原動力に

ジェームズ・ワット James Watt
(1736年1月19日~1819年8月25日、機械工学、英国)

鉄腕アトムは10万馬力 

 日本初の連続テレビアニメのヒーロー「鉄腕アトム」は10万馬力だった。小さなロボットながら「馬10万頭分の力」で大きな敵をやっつける姿に、多くの子供も大人も喜んだ。

 この「馬力」を力の単位として初めて定義したのは、英スコットランド出身の技術者、ジェームズ・ワットだった。

 ワットは実用的な蒸気機関を開発し、それが後に各種工場の動力源となり、世界の産業を変える大きなきっかけとなった。その蒸気機関の力を表すのに用いたのが「馬力」だ。当時は運搬や力仕事の労力としてよく馬が使われていたから、比較しやすかったのだ。

頼まれた蒸気機関模型の修理 

 小さなころから手先が器用だったワットは18歳の時にロンドンに出て、計測機器の製造技術を、通常4年かかるところを1年で習得した。専門職人として故郷に戻ったが、地元の町には組合組織があったので、勝手に店を構えることはできない。そこでグラスゴー大学の天文学機器を調整したことをきっかけに、1757年に同大学専属の職人となった。

 大学の研究室から頼まれたのが、蒸気の力を利用して水をくみ上げる機械の模型の修理だった。本物の機械は、金物商のニューコメンらが1710年ごろに開発した「ニューコメン機関」という蒸気機関で、主に鉱山の坑内排水ポンプなどの動力源として使われていた。

機関の非効率さに気づく 

 ワットはすぐに模型の修理を終えたが、そうした機関の設計では、たくさんの蒸気を消費する割に、効率よく動かないことに気づいた。

 その機関の仕組みは、ピストンを上昇させるために、シリンダーに蒸気室から熱い蒸気を取り込んで膨張させ、次にシリンダーに冷水を噴射して蒸気を凝縮させて、ピストンを下降させる。さらに再びシリンダーに熱い蒸気を取り込むといった、一連の動作を繰り返すものだった。

作動する改良機関模型を製作 

 ワットは実験を重ねて、シリンダーが冷水で毎回冷やされ、再びシリンダーに蒸気が導入されたときに、熱の80%がシリンダーの加熱に使われていることが分かった。「同じシリンダーで、冷却と加熱を繰り返すから無駄になる。蒸気を別室で冷却すればいいのだ」

 そこでワットは、シリンダーとは別に「分離凝縮室(復水室)」を設けて、シリンダーの膨張に使った蒸気を送り込んで冷却と凝縮を行い、シリンダーが常に注入蒸気と同じ高温になるようにした。この改良をワットは1765年に行い、実際に作動する模型を製作した。

産業各界に広がる業務用蒸気機関

 その後、精密なシリンダーとピストンなどを製作する高性能の工作機械が発明され、資金的な協力者も得るなどして、ワットは1776年に業務用の蒸気機関の製作を本格的に始めた。さらにピストン運動を回転運動として取り出す新技術も独自に開発し、蒸気機関の用途は研磨や紡績、製粉など、さらに多くの産業に広がることになった。

馬力の定義 

 なおワットが1765年に改良型蒸気機関を製作した際に、仕事量を数値的に表す単位を決める必要があった。そこで「馬1頭が重さ3万3,000ポンド(約15トン)の荷物を1分間に1フィート(約30cm)引っ張る仕事量を1馬力(ヤード・ポンド法による英馬力)」と定めた(ほかにメートル法による仏馬力もある)。

〈メモ〉ワットが1788年に完成させた製粉用の回転式蒸気機関は50馬力だった。参考までに日本の蒸気機関車(D51形)は1,400馬力、新幹線(N700系16両)は2万3,200馬力。「鉄腕アトム」(10万馬力)はF-15戦闘機(20万馬力)の片側エンジンと同じ出力。

 なおワットの名前は「仕事率」や「電力」、放射エネルギーを表す「放射束(そく)」の単位(W)に使われている。

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