ピエール・ド・フェルマー Pierre de Fermat(1607年10月31日~12月6日?~1665年1月12日、数学、フランス)
人騒がせなメモ書き
本の片隅に記したメモ書きが、とんだ人騒がせとなってしまった。しかも世界中で、350年あまりにわたって……。「フェルマーの最終定理」というのがそれだ。
数々の数学の業績
フェルマーは本職が地方議会の勅選議員だった。数学についてはアマチュアながら、数々の偉大な業績を残した。かのニュートンは、円の接線を求めるフェルマーの方法から微分学のヒントを得た。光学の分野でも、重要な光の直進や反射、屈折の法則を導いたのもフェルマーだったという。
そのフェルマーは、数学書を読んでいてふと考えが浮かぶと、それを本の余白にサッと書きとめる習慣があった。
「驚くべき証明を発見…」
1637年ごろに「私は驚くべき証明を発見したが、残念ながら余白が狭くて書けない」と記した。それが読んでいた本の48カ所にある書き込みのうち、後世の人が最後まで証明しきれずに残った「フェルマーの最終定理」だった。
証明されずに残った「最終定理」
「どんな方法で証明したのか」。フェルマーは肝心なその部分を書き残しておらず、その後、多くの数学者がこの問題に取り組んできたが、どうしても解けない。あの大数学者のガウス(1777~1855年、ドイツ)は「証明できたものと、フェルマーが勘違いしたのではないか」と疑ったという。
「最終定理」は数学界最大の謎として残り、20世紀初めには、完全な証明に賞金もかけられたが、世界中の数学者の挑戦はことごとく敗れ去るばかりだった。
ワイルズ教授が証明に成功(1995年)
ところがついに米国プリンストン大学のアンドルー・ワイルズ教授(1953~年)が証明に成功し、1995年3月に、世界的権威のある数学専門誌に掲載された。
役立った「谷山・志村予想」
その証明に役立ったのが、当時同大学にいた志村五郎教授(1930~2019年)と故・谷山豊・東京大学助教授(1927~58年)の2人が提唱した楕円(だえん)関数についての「谷山・志村予想」だったという。
ワイルズ教授は2年前に一度証明に失敗していたが、めげずに証明方法を見つけることに集中し、ついに成し遂げた。
「自分で問題点を探し出し、解けるまで、決してあきらめないこと」。ワイルズ教授は言った。