地質学

近代地質学の父 解説本が出てようやく理解

ハットン,ジェームズ(1726~1797年、地質学・医学・化学、英国)

  いくら優れた研究でも、論文が難しすぎると、少しも周囲には理解されない。「近代地質学の父」と称される英国のジェームズ・ハットンの場合もそうだった。せっかく立派な業績を上げながら、論文の書き方が下手だったため、初めは周囲にほとんど評価されなかったのだ。

 スコットランド・エディンバラの商人の子に生まれたハットンは、子どものころから、周辺の山や川、海岸などが「どうしてできたのだろう」と、興味と疑問をもっていた。

 早くも10歳で地元の高等学校に入りラテン語やギリシア語、数学を学んだ。14歳でエディンバラ大学に入学して3年間法律を学んだ後、さらにパリ大学やオランダのライデン大学で医学や化学を学んだ。23歳で医学の学位を得た。その後、塩化アンモニウムの製造工場を建てて成功し、1768年の42歳の時に故郷に戻って岩石や鉱物、地質の研究に没頭するようになった。

 ハットンは国内の各所をはじめ北部フランスやオランダの地質調査を行い、いろいろな場所の地層を観察した。そして1787~88年にスコットランド海岸の3カ所の海食崖で発見したのが「ハットンの不整合」だ。「不整合」とは元の上下の地層がその後の隆起や沈降、浸食などの変動を受けて露頭に現れた地層の様子のこと。ハットンはこれらをスコットランドの南東部の町ジェドバラのアラーズミル、西部の離島アラン島、東部海岸の岬シッカーポイントで発見した。

 またハットンは、エディンバラの東にある小高い山アーサーズ・シートでも発見をした。そこでは約3億5000万年前にできた古い地層の岩石の間に、後から新しい岩石が入り込んだように見える。新しい岩石は溶けたマグマの状態で地下から湧き出し、周囲の岩石を変質させていたのだ。

 これらの発見を基にハットンが打ち出したのが、地表の岩石形成の理論「火成論」だ。

 それまではドイツの地質学者アブラハム・ゴッドロープ・ウェルナー(1749~1817年)が提唱した「すべての岩石は原始の海でつくられた」とする「水成論」が主流だった。

 対するハットンの「火成論」では、地球上の岩石は、細かな岩石や生物の死骸のたい積岩、マグマ自体が固まった火成岩、たい積岩や火成岩が熱や圧力で再び変質した変成岩から成っているとする。

 さらにハットンは、こうした地殻変動は過去の時々に起きたのではなく「昔も今も同じような自然の現象作用を受けている」といった現在の地質学に通じる「斉一(せいいつ)説」の考え方を提唱した。

 ところが、話し上手なハットンだったが、書く方は不得意だった。1795年に『地球の理論』と題して論文を発表したが、ただし書きが多くて、しまいには話の筋がこんがらがってしまっていた。これには読む方も何がなんだか分からず、まったく理解されなかったという。

 そのためハットンの友人であるエディンバラ大学の数学教授が1802年、ハットンの死後に改めて『ハットンの地球理論の解説』を出版し、ようやく一般に理解されるようになった。

 そしてハットンの「斉一説」をさらに発展させたのが、同じ英国スコットランドの地質学者チャールズ・ライエル(1797~1875年)だった。彼は1830~1833年に『地質学原理』(全3巻)を出版した。こちらは理論が明確で、文章もうまかったので、大きな反響を呼んだ。さらにダーウィンも同著をビーグル号航海に持参し、進化論の形成に大きな影響を受けたという。