理論物理学

物質の「波と粒子」の二面性 大胆仮説にアインシュタインは高評価

ド・ブロイ,ルイ(1892~1987年、理論物理学、フランス)

 野球ボールをどんなに力いっぱい投げても、ボールはボール。では、そのボールがより小さなピンポン玉やビー玉、さらに小さな米粒よりも小さな……原子の中の陽子や電子といった「粒子」を投げるとしたら、どうなるだろう? 観客(観察者)の目には「波」として映るはず──。

 「えッ、粒子が波、あるいは波が粒子だなんて、本当?」と、驚くかもしれない。でも実は「波」と考えられていた光も、粒子としての性質をもっているのだ。アインシュタインは「光の粒子(光子)」というものを考え、金属に光を照射すると電子が飛び出す現象(光電効果)は「光子が電子と衝突し、はじき出したものだ」と説明した(光量子説、1905年)。

 こうした考えなどを発展させて「すべての物質は波と粒子の性質をもつ」との説を提唱したのが、フランスの理論物理学者ルイ・ド・ブロイだ。

 ド・ブロイはフランス名門の貴族の家に生まれた。パリ大学ソルボンヌ校では歴史や文学を学んだが、やがて17歳年上の物理学者の兄モーリスの影響で物理学にも興味をもった。きっかけは1911年にベルギー・ブリュッセルで初めて開かれた物理学に関する会議だった。

 後に主催した化学者の名前から「ソルベー会議」と呼ばれ、3年ごとに開かれるその第一回の会議のテーマは「放射理論と量子」で、当時第一線で活躍するプランクやローレンツ、マリ・キュリーラザフォード、アインシュタインなど二十数人が集まった。その会議録の出版を担当したのが兄のモーリスで、ド・ブロイは最先端の物理学や研究者に直に接して感動したという。

 ド・ブロイはその後、第一次世界大戦(1914-8年)の期間も含めて1913 年から1919年まで、エッフェル塔の地下無線局で無線電信の性能向上の研究や無線機の修理などを担当した。6年間の兵役後、ド・ブロイは兄の研究所でエックス線を研究し、物理学の最新情報を得るために大学にも復帰し、1924年に物理学の博士号を得た。

 その博士論文(1923年)の中で、ド・ブロイは「粒子と波動性」をテーマに、物質の質量や速度、波長などの関係式(ド・ブロイ方程式)を示し「粒子としての電子もまた波の性質をもつ」と予想した。ところが当時としては余りの大胆な発想に、教授陣は内容を完全に理解できなかったため、一人の教授が友人のアインシュタインに評価を求めた。アインシュタインは「この青年は博士号よりもノーベル賞に値する」と返答してきたという。

 ド・ブロイの予想(仮説)は間もなく、1927年に海外の他の研究者によって証明された。英国のジョージ・パジェット・トムソン(J・J・トムソンの息子)は薄い金属の多結晶フィルムに電子ビームを照射し、さらに米国ベル研究所のクリントン・デイヴィソンとレスター・ジャマーはニッケル結晶に電子ビームを照射することで、透過した電子が「波」のように回折し、互いに強めたり弱め合ったりする現象を確認した。1928年には、日本の理化学研究所の菊池正士も雲母の薄膜に電子ビームを照射し、この回析による干渉現象を観察している。

 ド・ブロイが示した「波と粒子」の二面性は、その後の量子力学の発展に貢献した。パリにあるアンリ・ポアンカレ研究所の理論物理学教授となったド・ブロイは、1929年に「電子の波動性の発見」でノーベル物理学賞を受賞した。それを証明したトムソンとデイヴィソンも1937年にノーベル物理学賞を受賞した。なお、トムソンは親子二代での受賞となった。