生物学

30年がかりで『昆虫記』全10巻出版 文豪からノーベル文学賞の声も 

ファーブル,ジャン=アンリ・カジミール(1823~1915年、生物学・博物学、フランス)

 「鉄腕アトム」や「リボンの騎士」などでお馴染みの漫画家、手塚治虫(おさむ)さん(1928~1989年)は「治」が本名だ。少年のころから虫が大好きで、自分のペンネームにしてしまったのだ。

 「虫大好き人間」として世界的に有名なのは、フランスの昆虫学者ファーブルだろう。彼が研究成果をまとめ、55歳のときから約30年間にわたって出版した名作『昆虫記』(全10巻)は、今でも世界で愛読されている。科学の論文調とは異なる柔らかな文学調の語り口が人気となり、ロマン・ロランやメーテルリンクといった当時の文豪たちからも、ファーブルをノーベル文学賞に推す声も挙がったという。

 貧しい農家に生まれたファーブルは、弟が生まれたことで、4歳から7歳までの間、田舎の祖父の家に預けられた。ヒツジやブタ、ニワトリなどの家畜、野山にいる虫などが遊び相手だった。何でもかんでも集めるのが趣味で、ポケットの中はカタツムリやバッタ、岩石や化石などで一杯だったそうだ。

 ファーブルが中学生のときに、両親のカフェ経営が失敗して一家は離散した。ファーブルはレモン売りや工事作業などの仕事をしながら、いろんな本を読んで勉強した。1840年に地方都市アビニョンの師範学校の入学試験に首席で合格した。小学校の教員免状を取って卒業すると、さらに上級免状を目指して独学し、数学と物理学の教師となった。ファーブルは生徒たちを引き連れて、昆虫の採集や観察にも出かけたという。

 その後ファーブルは、1854年に自然科学の学士号試験に挑戦して合格した。さらに翌年には動物学と植物学の二つの博士論文を書き上げてパリでの審査会に臨み、これが認められて博物学の博士号を取得した。

 これらの勉強中に、ファーブルは「ジガバチ」という狩人バチに関する一つの論文を読んだ。

 ジガバチは巣の中にアオムシを運び込み、卵からかえった幼虫のえさにしている。アオムシはいつまでも腐らずにいることから、このハチは毒針でアオムシを刺し殺すときに、防腐剤の液を一緒に注入すると考えられる──というものだった。

 さっそくファーブルも、ジガバチに刺されたアオムシを観察してみた。ところが「死んだ」と思っていたアオムシがふんをするなど、実は生きていた。ジガバチの針の毒は防腐剤ではなく、アオムシの神経をまひさせる液だったのだ。

 この事実を発見した研究の論文が、科学アカデミー主催の1855年のコンクールで高い評価を受けたことから、ファーブルは本格的にさまざまな昆虫の研究観察を始めた。これが後に『昆虫記』が生まれるきっかけとなったという。

 虫を愛したファーブル。「昆虫の詩人」と称されている。

〈メモ〉虫に詳しいファーブルを頼って、細菌学者のパスツールが1865年6月に訪ねてきた。当時フランスでは養蚕業が隆盛していたが5、6年前からカイコ蛾に病気がはやりだしていた。その解決法をパスツールが求められ、ファーブルにカイコの生態や習性などを学習しにきたのだ。パスツールはカイコの幼虫がサナギになるために糸をはくことも知らなかったが、ファーブルはパスツールの研究に挑む態度に感動したという。その後、パスツールは病原となる微生物を発見し、簡単に健康なカイコだけを選別して病気の拡大を防ぐ方法を考え出した。

 またファーブルは、ダーウィンの「進化論」に昆虫学者として批判した。例えば、自分が研究・観察してきた狩人バチの仲間は、種それぞれにコオロギやカマキリなどと、固有の虫を獲物にしている。「進化論」では、それらの種は共通の祖先から進化したとするが、ならば祖先は多様な虫を獲物にしていたはずである。獲物を固有の虫に限定するように進化するのは、生存においても不利になるのではないか、というものだった。ファーブルは他の事例も示して、ダーウィンと手紙で意見を交換したが、最後まで一致しなかったという。