エドワード・ジェンナー Edward Jenner(1749年5月17日~1823年1月26日、医学、英国)
大昔からあった「天然痘」
「天然痘」(痘瘡:とうそう)というウイルス性の伝染病は、ヒトの皮膚に水疱(すいほう)や膿疱(のうほう)をつくり、時には、ほとんどの患者を死に至らしめた。幸いにも治っても、顔や腕などにあばたが残った。紀元前1100年代に没したエジプトのミイラにもその跡があったというから、人類は大昔からこの病に苦しめられていたのだ。
牛飼いの娘はきれい⁉
18世紀のヨーロッパでも、毎年多くの死者が出るほど、天然痘が流行していた。そのため、都会に住むどんな貴婦人もあばた面だった。しかしなぜか、よく牛の乳しぼりをする田舎の女性たちはあばたもなく、みな都会の女性よりも美しかったという。
「牛の痘そう(牛痘)にさわった人は、天然痘にかからない」
そんな言い伝えを聞いた、英国の田舎町の開業医、エドワード・ジェンナーは実際に自分で確かめることにした。
牛痘の水ほう液を少年に接種
ヒトが牛痘にさわると、手に水ほうができるだけで、やがて自然に治ってしまう。そうした軽い牛痘にかかった女性の手から採った水ほうの液を、自家の使用人の息子(8歳)の腕に接種してみた。
天然痘に対する免疫
そして約2カ月後、今度は少年にヒトの天然痘を接種してみたところ、少年には何ら症状は出なかった。牛痘によって、少年の体内に天然痘に対する抵抗力(免疫)ができていたのだ。
ジェンナーの「種痘」
ジェンナーはさらに実験を重ねて、この「種痘」の技法を確立し、1798年に論文を刊行し発表した。それに対しては「牛痘を接種すると牛になる」といった根も葉もない噂など、保守的な医者たちからの反発もあったが、この画期的な「種痘」の論文は次々と外国語に翻訳されて、たちまちヨーロッパ全土に手法が広がった。英国では「種痘」のおかげで、天然痘による死者が1年半の間に3分の1に減ったという。
日本へは江戸末期に伝来か
日本にジェンナーの種痘法が最初に入ったのは江戸末期の1849年(嘉永2年)ごろ、オランダ船で九州にもたらされたとされるが、それよりも25年ほど前にロシアからのルートで、いち早く北海道に伝えられていたとの説もあるようだ。
地球から根絶した天然痘
いずれにせよ、ジェンナーは人類初のワクチン(ラテン語の雌牛〈ワッカ、vacca〉に由来)を作り上げ、人類に大きく貢献した。そのおかげで、自然界での天然痘ウイルスは1980年までに、地球上から姿を消した。
〈メモ〉「種痘」は世界中で実施され、20世紀半ばまでには日本など先進国の多くが、自国で天然痘を根絶した。WHO(世界保健機関)は1958年から、途上国を含めた全世界からの天然痘の撲滅計画に乗り出した。各国の全国民に隈なく種痘を行うことは不可能なので、天然痘の患者が発見された場合に、その人が1カ月ほど前から接触した人々すべてに種痘を行い、地道に感染拡散を防ぎながらウイルスを孤立させていく方法をとった。この封じ込め作戦が成功し、WHOは1980年に天然痘の地球上からの根絶宣言を発表した。