化学

世界最初に「ビタミン」発見 脚気に効果の米ぬか研究で

鈴木 梅太郎(1874~1943年、化学、日本)

 ふだん私たちが食べるご飯は白米。ほかに玄米などもある。玄米の方が白米よりも「栄養価が高い」といって、玄米を好む人もいる。

 なぜ玄米に栄養があるのか? そもそも玄米を精米したのが白米だ。その精米時に取り除いた胚(はい)や皮の粉などが「米糠(ぬか)」。この米ぬかがポイントだ。

 ヒトが必要とする栄養素はたんぱく質・脂肪・炭水化物の三つと、カルシウムや鉄分などの微量なミネラル(無機物)類。しかし、この4成分だけではヒトはうまく育たず、病気になって死んでしまうという。ほかに何かが足りない。

 それはビタミン。今ではヒトで13種類のビタミンが知られている。そのうちのビタミンB1を、1910(明治43)年に世界で最初に米ぬかから発見したのが、静岡県生まれの当時東京帝国大学農科大学(現東京大学農学部)教授だった農芸化学者、鈴木梅太郎だ。

 脚気は江戸時代以降人々の間で広まり、明治、大正、昭和の戦後まで病気にかかる人は続いた。この病気にかかると全身が衰弱して歩くこともできず、そのうちに心臓がおかされ死んでしまうという。

 その原因については、明治期に入っていろいろと研究されるようになり、食物原因説や伝染病(細菌)説、食中毒説、栄養障害説などが考えられた。また脚気の患者は、都市部の富裕層や陸海軍の若い兵士に多発していること、一般庶民においても、子供や高齢者といった体力が弱い人がならずに、元気で丈夫そうな若者がかかること、良質な食べ物を取っている家庭よりも一見粗食をとっている家庭の方がかからないことなどが分かってきた。さらに、戦艦に乗っている海軍兵のうち、玄米を食べている人と白米食の人では脚気になる率がまったく違うといった報告もあった。

 脚気の改善に効く「何か」が玄米にあるのではと考えた鈴木梅太郎は、白米で飼育し脚気のような症状になったニワトリとハトに玄米と麦と米ぬかを食べさせたところ、確かに症状は改善し治ってしまった。「未知の栄養素」の存在を示すこの実験結果を1910年6月に国内学会で発表するとともに、米ぬかから有効成分(のちにイネの属名〈Oryza、オリザ〉にちなみ「オリザニン」と名付けた)を抽出することにも成功して同年12月に報告し、翌11年1月の国内の学会誌に論文を発表した。このオリザニンこそが、今で言う「ビタミンB1」だった。

 鈴木梅太郎は1912年にドイツの『生物化学雑誌』にも論文を掲載した。ところがポーランド生まれの米国の生化学者、カシミール・フンク(1884~1967年)も脚気の原因について研究しており、1911年に米ぬかに含まれる化学物質が欠乏することによってこの病気が起ることを論文(もちろん英文で)発表していた。さらに翌年には、この物質に「重要な生命活動をつかさどるアミン」という意味の造語で「ビタミン」と名付けた。この名称が世界的に有名になった。

〈メモ〉1929年のノーベル医学生理学賞はビタミンが受賞テーマとなったが、その対象は鈴木梅太郎でもフンクでもなかった。受賞者したのは、米ぬかの成分(のちにビタミンB1)が白米中の「脚気毒素」を打ち消すことを、鈴木らよりも早くインドネシアでの研究をもとに世界で初めて考えたオランダ人と、「特定の微量粒子」(のちにビタミンA)が健康の維持に必須であることを発見した英国人の2人だった。

 鈴木梅太郎がノーベル賞を逃したのは国際学会への発表が一歩遅れたためとも指摘されるが、ほかの要因として、オリザニン(ビタミンB1)発見当時の「脚気」をめぐる医学的な国内状況も見逃せない。
 
 脚気の原因について日本帝国陸軍は伝染病原因説、海軍は栄養欠乏説を唱えており、国内の大学や研究所などを含む医学界全体も伝染病原因説に傾いていた。そのような折、農芸化学者の鈴木梅太郎が主張する学説は、医学界では容易に受け入れてもらえなかったようだ。
 
 また当初のオリザニン抽出物はニコチン酸を含む不純化合物で、ようやく純粋単離に成功したのは発見から20年後の1931年(昭和6年)のこと。さっそく翌32年にはオリザニンの純粋結晶が脚気に特効のあることが報告されるなど、本格的な研究が進められるようになり、鈴木梅太郎の業績もまた再評価されるに至った。