医学

西洋の正確な解剖書に驚嘆 共訳『解体新書』出版

杉田玄白(1733~1817年、医学、日本)、前野良沢(1723~1803年、医学、日本)

 医学は、人の体をよく知ることから始まる。中でも人体の構造を理解する解剖学は、医学の基本中の基本だという。

 人体の医学的な解剖は、紀元前3500年ごろには古代エジプトで行われていたとみられ、当時の頭蓋縫合や脳の表面状態の記録が残されているという。さらに人体解剖は古代ギリシャ時代にも行われたが、その後しばらく、遺体崇拝や死者復活などの思想で禁止された。

 再び西洋で人体解剖が注目されたのは、14世紀からのイタリアで始まったルネサンス(古代文化の復興)期で、1304年にはヨーロッパ最古の大学、イタリアのボローニャ大学で初めて公開解剖が行われ、体系的な解剖学の研究が始まった。ルネサンス期の天才芸術家で科学者のレオナルド・ダ・ビンチ(1452~1519年)も、解剖学を基にした正確な人体の絵画や各部位のスケッチを残している。

 1543年には、イタリアのパドヴァ大学教授のアンドレアス・ヴェサリウス(1514~1564年)は実際に解剖して観察した『人体の構造』を出版し、近代解剖学の基礎を築いた。18世紀にはパリ大学やウィーン大学でも解剖の講義が行われ、1722年にはドイツの医学者ヨハン・アダム・クルムスがより詳細な解剖学書『解剖学図表』を出版し、外国語にも翻訳された。

 一方、日本では701年の大宝律令で人体解剖が禁止されていたとも言われ、解剖は非人道的な行為と長く考えられていた。日本で最初に人体解剖をしたのは江戸時代中期、京都で天皇の侍医をしていた山脇東洋(1706~1762年)で、処刑の遺体を対象に1754年に行った。そして、西洋の進んだ解剖学を日本に初めて紹介したのが蘭学医の杉田玄白や前野良沢、中川淳庵(1739~1786年)たちだった。

 杉田らは1771(明和8)年3月のある日、町奉行の許可を得て、江戸・千住骨ケ原の刑場で行われた処刑遺体の「ふ分け」(解剖)を見に行った。

 ふ分け作業を行う老人が内臓を一つ一つ取り出すごとに、杉田らは驚きの声を上げた。杉田と前野はそれぞれにクルムスの『 解剖学図表 』オランダ語1734年版(和名『ターヘル・アナトミア』)を持参していたが、この中の解剖図と実際の内臓の様子がまったく同じだったのだ。

 それまでの中国医学の解剖図が誤りであることを知った杉田たちは、翌日から同書の翻訳に取り掛かった。「力を合わせれば、何とかなる」と考えていたが、当時のオランダ語の辞書には約700語しか収められていなかったので、分からない単語が多く、1行も訳せない日もあったという。

 杉田らは苦労を重ね、3年5カ月後の1774年8月に、全5巻190ページからなる『解体新書』の出版にこぎ着けた。この時に「神経」や「動脈」「軟骨」「十二指腸」などの訳語も作った。同書が日本初の本格的な解剖書として、医学の発展に大きく寄与したことは言うまでもない。