医学

床屋外科医から国王の侍医に 新しい治療・手術を施した「近代外科の父」

パレ,アンブロアズ(1510~1590年、医学、フランス)

 フランスの国王アンリ2世が、1559年に騎馬試合で槍に左目を刺され死亡する事故があった。それを占星術師のノストラダムス(1503~1566年)が事前に予言していたとか、いなかったとか。それはともかく、その事故でアンリ2世の治療にあたったのが侍医のアンブロアズ・パレだった。

 パレは今でこそ「近代外科の父」と称される大外科医だが、それまでの西欧では、外科は医学の分野のうちでもとくに地位が低かった。大学の医学者でさえも自分では手術をしなかった。人の手術を行っていたのは、普段からはさみやかみそりを器用に扱う床屋さんたちであり、彼らは「床屋外科医」と呼ばれていた。

 パレも床屋外科医だったが、次々と新しい手術法や治療法を考え出した。それを難しいラテン語ではなく、分かりやすいフランス語で本に書いて紹介したので、外科の知識や技術はたちまち外国にも広がった。パレの整骨術に関する著書はオランダ語にも翻訳され、その後、巡りめぐって日本の江戸時代の外科医、華岡青洲(1760~1835年)の手にも渡ったという。

 パレの施術で有名なのは、銃弾による傷の治療だ。軍隊などでの治療では、それまでは「銃弾には“火薬の毒”がある」として傷口に焼きごてをあてたり、煮え立つ油を注いだりしていた。普段からこうした方法に疑問をもっていたパレは、従軍先でちょうど油が切れたことから、卵黄とバラ油などで軟こう薬を作り、傷口に塗り込んだ。すると兵士たちは何の苦痛もなく、その傷も早く治ってしまった。

 血を止める新しい方法も、パレは開発した。手足を切断する場合には、焼きごてをあてて傷口を止血するのがそれまでの常識だったが、パレは血管を1本ずつ糸でしばる方法で血を止めて手術をした。

 身分の低い床屋外科医から軍医となり、歴代の国王の侍医まで登り詰めたパレだったが、決して威張ることなく、つねに謙虚な人柄だったという。「私が包帯(処置)をし、神がこれを癒(いや)したもうた」。外科医としてのパレが残した言葉だ。