医学

ABO式・Rh式血液型を発見 安全輸血の実現に貢献 

ラントシュタイナー,カール(1868~1943年、医学・病理学、オーストリア)

 世界各地に残るバンパイア(吸血鬼)伝説。不思議なのは「バンパイアが血液型を意識して人の血を吸うのかどうか」ということ。輸血とは違うので、血液型は問題ないのかな?

 輸血の話はギリシャ神話の中にも出てくる。魔女が老衰した父親のために、輸血して若返らせたというものだ。昔から「血液は生命そのもの」と考えられ、18世紀ごろまでのヨーロッパでは、けがによる炎症部位や病気になった場合に「瀉血(しゃけつ)」といって「悪い血」を体外に排出する治療(?)が当たり前のように行われていた。

 さらには、健康な人の血液を直接患者に輸血することも行われて、うまく回復する場合もあったが、すぐに患者が死ぬこともあった。そのため19世紀末までには、ヨーロッパのほとんどの国では輸血が禁止されてしまった。何よりも輸血の基本となる血液型が、当時はまだ知られていなかったのだ。

 現在では一般的なABO式の血液型を最初に見つけ、1901年発表の論文で輸血における血液型の適合性が極めて重要であることを示したのは、オーストリアの病理学者カール・ラントシュタイナーだった。

 ラントシュタイナーは1891年にウイーン大学で医学博士号を取得し、ウイーン総合病院での勤務を経て、1898年にウイーンの病理解剖研究所の助手となった。その研究の過程で、イギリスの病理学者による「別々の肺炎患者の血球と血清を混ぜていた際に凝集があった」という報告を聞き「これが正しければ肺炎の診断に利用できるのではないか」と、1900年に研究所員らの協力を得て追試を行った。

 その結果、血球の凝集反応は健康な人同士でも起きる現象だったので肺炎診断には使えないが、同じ血清を混ぜた場合でも、血球の持ち主によっては凝集するときと凝集しないときがあることに気づいた。研究所の22人について調べたところA、B、Ⅽ(非A非B)の3グループに分類できることが分かり、論文発表したのが1901年11月だった。なおAB型は当時の22人の中にはいなかったらしく、翌1902年に同僚の研究者らが論文で「AB型」の存在を示唆した。

 しかしラントシュタイナーの論文は当初、基礎医学分野の地味な研究として受け止められ、大きな反響はなかったという。ところが1907年に、米ニューヨークの医師が輸血を成功させて「輸血の死亡事故の主な原因は、ラントシュタイナーが指摘している血液型不適合によるものだ」と主張したのがきっかけで、改めてラントシュタイナーと血液型が注目された。そして、1910~11年にドイツの2人の研究者(エミール・フォン・デュンゲルンとルドヴィク・ヒルシュフェルト)が、当時混乱していた血液型理論を改めて整理し、4グループの血液型を「A型」「B型」と「AB型」、さらに「C型」を変更して「O型」と呼ぶことを提唱した。

※「O型」の呼称について2研究者はとくに述べていないが、論文の中でヒトの血液型の遺伝を「O」の大文字と小文字を使って説明しており、どうやら数字の「0(ゼロ)」が語源ではなさそうだ。ドイツ語の「(AでもBでも)ない」という意味の「ohne(オーネ)」の頭文字から採られた可能性が高く、日本語でも「オー型」と呼ぶのが正解らしい。

 ABO式の血液型の名称は1928年の国際連盟の血清標準委員会で正式に統一採用され、国際的に使うことが決められた。輸血の安全性が向上し、医学も大きく進歩したことの業績で、ラントシュタイナーは1930年にノーベル医学生理学賞を受賞した。

 ほかにもラントシュタイナーはウイーン大学の病理学の教授となった1908年に、急性灰白髄炎(ポリオ)の病原体ポリオウイルスを発見した。渡米したニューヨークのロックフェラー研究所では、1937年に弟子のアレクサンダー・ヴィナーとともに、アカゲザル(Rhesus monkey)を用いた実験でD抗原を発見し、その頭文字から「Rh因子」と名付けて1940年に論文発表した(Rh式血液型の発見)。