医学

コールタールで人工がん作成 発がん「刺激説」裏付ける

山極 勝三郎(1863~1930年、医学、日本)

 病気のがんは、人類の誕生以来の宿敵だ。近年は研究が進み、がんを発生させる遺伝子や逆に、抑えたりする遺伝子が見つかっているが、まだまだ撲滅するまでには至っていない。

 20世紀の初めには「がんは正常な細胞が変化したものだ」と分かっていたが、なぜ変化するのか原因については不明だった。人工的にがんをつくることができれば、がん化の原因の究明や有効な治療、予防の研究にもつながる。が、その作成の実験には多くの研究者が失敗していた。

 1915年に世界で最初に化学物質による人工がん(皮膚がん)の発生に成功したのは、東京帝国大学(現東京大学)医学部教授の山極勝三郎博士だった。

 江戸時代末期に現在の長野県上田市に生まれた山極博士は、東京帝大医学部に入学して1891年に助教授となり、翌年から3年間ドイツに留学し、ベルリン大学教授(病理学)のルドルフ・ウィルヒョウ(1821~1902年)などに師事した。帰国後の1895年から東京帝大医学部(病理学教室)教授に就任した。

 病理学教室では死体の病理解剖も業務としており、1889(明治22)年から13年間に3014体を解剖した。その237例にがん腫が見られ、うち107例が胃がんだった。山極博士は「多くの胃がんは、暴飲暴食による慢性反復性の刺激を受けてがんになったもの」と考えた。これをまとめて、胃がんに関するわが国最初の専門書『胃癌発生論』(1905年5月)を出版した。

 そのころ西欧では以前から、煙突掃除夫の陰のう部に皮膚がんができることが医学者の間で知られ、さらに1874(明治7)年には、コールタールを扱う労働者に職業性の皮膚がんができることも報告されていた。これについて、ドイツの生活経験のある山極博士は、ほとんどの煙突掃除夫たちは股の部分に石炭の煤(すす)が付着したズボンを常にはいており「石炭のコールタールによる、繰り返しの刺激が原因かも知れない」と考えた。

 そこで山極博士は、1907(明治40)年ごろから動物を用いた発がん実験を始めた。長期にわたり耳に刺激を与えて人工的にがんをつくろうと最初はマウスを用いたが、マウスの耳が硬く小さくなってしまうので実験にならなかった。

 そのため、同じ研究室の市川厚一・特別研究生(1888~1948年、茨城県桜川市出身、後に北海道帝国大学獣医病理学教授)に手伝ってもらい、1913年からウサギの耳の同じ場所にコールタールを塗り込む「塗擦(とさつ)」実験を始めた。そして1915年5月、それまで約3か月から半年間にわたり毎日この刺激を与え続けて、良性の腫瘍「乳頭腫」が発生した32匹のウサギのうち、3匹の乳頭腫の中にがん組織ができたのを確認した。

 山極博士らの実験結果によって、がんの発生原因とされていた「刺激説」と「素因説」の二説のうち「刺激説」の有力な根拠となった。さらにその後の研究で、人々の身の回りから多くの発がん物質が見つかるようになってきた。

 山極博士の業績は「まさにノーベル賞に値するもの」だったが、1926年のノーベル医学生理学賞は、山極博士らの2年前に「がんは寄生虫が原因だ」との説を発表していたデンマークの病理学者ヨハネス・フィビゲル(1867~1928年)に贈られた。後に、この寄生中原因説は誤りであることが判明し、ノーベル賞の大きな汚点となった。

 「山極博士こそが日本人第1号のノーベル賞だったに違いない」。今でも語られている。