化学

放射能の研究で 夫婦そろってノーベル賞

マリ・キュリー Marie Curie
(1867年11月7日~1934年7月4日、物理学・化学 ポーランド))

ピエール・キュリー Pierre Curie(1859年5月15日~1906年4月19日、物理・化学 フランス)

紙幣に描かれた科学者夫婦 

 フランスで1992年に新しい500フラン紙幣(約1万1000円)が登場した。描かれているのがラジウムなどの放射能の研究でノーベル賞を受賞したキュリー夫妻(マリ、ピエール)だ。

 実は、2人を紙幣にという構想は、その20年前にも検討されたが、マリがポーランド人であることから、当時のフランス大統領が反対したのだという。

ポーランド生まれのマリ 

 マリは、数学と物理学の元大学教授の父と元女学校長の母の間に、3人の姉、1人の兄に続く5番目の子として生まれた。子供のころから抜群の記憶力で、勉強もよくできた。ところが帝政ロシアのポーランド支配によって、マリが6歳の時に父が失職し住居も失った。9歳の時には一家がチフスにかかり長姉が死に、2年後には母が結核で死んだ。

働き学資を貯めてパリ大学へ 

 家は貧乏となったが、マリは優秀な成績でギムナジウム(中等学校)を卒業した。その後、ワルシャワで住み込みの家庭教師などをして働き、学資を貯めて24歳の時(1891年)にパリ大学に入学した。パリでは7階アパートの屋根裏部屋を借りて、食費や冬場の暖房費などを切り詰めるなどして、やっとの思いで1893年7月に物理学の学士資格を得た。

ピエールとの研究生活 

 卒業後マリは生計を立てるために、フランス工業振興会からの磁気の受託研究に取り組んでいた1894年春、パリの工業物理化学学校の実験主任をしていた8歳上のピエールと知り合った。そして翌年7月に結婚し、そこから二人三脚での研究生活が始まった。

‟謎の放射線”を出す物質に着目 

 2人が着目したのが、ある物質が出す「謎の放射線」だった。当時、ウラン物質から強い放射線が出ていることは、フランス人のアントワーヌ・ベクレルが見つけていたが、夫妻は新たに、トリウムという物質も放射線を出すことを発見した。

発見した放射性元素 

 さらにウランを取り除いた廃石の中にも、ウラン以上に強い放射線を放つ2種類の物質が含まれることを突き止めた。その物質の一つが祖国ポーランドから名づけた「ポロニウム」、もう一つが「放射能をもった元素」の意味での「ラジウム」だった。

 しかし、発見した物質を抽出しなければ、その物質の原子量や性質も明らかすることはできないし、人々を納得させることもできない。

廃石8トンから0.1グラムのラジウム

 そのため夫妻は来る日も来る日も廃石をすりつぶし、硫酸で処理するなどの作業を繰り返して、ようやく4年がかりで、約8トンの廃石からわずか0.1グラムの微量な塩化ラジウムの抽出に成功した。

夫婦でノーベル物理学賞、マリはさらにノーベル化学賞も 

 その業績で夫妻は1903年に、ベクレルとともにノーベル物理学賞を受賞した。その3年後にピエールは馬車にひかれて死んでしまったが、マリは夫の遺志を継いでさらに研究を続け、純粋ラジウムの抽出などの業績を上げて1911年に再びノーベル賞(化学賞)を受賞した。

死因は再生不良性貧血 

 このように放射能の研究に尽くし、さらに戦傷病者の治療のためにX線撮影車の普及にも尽力したマリだったが、再生不良性貧血のために亡くなった。長年、放射線を浴び続けたのが原因だったとも言われている。

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