ヘルマン・エミール・フィッシャー Hermann Emil Fischer(1852年10月9日~1919年7月15日、有機化学、ドイツ)
先生は生徒の進路に、大きな影響力をもつものだ。ドイツの化学者のエミール・フィッシャーの場合も、先生との出会いがその後の人生に大きく影響した。
数学好きの校長先生
彼は小学生の時、いたずらをして校長先生に怒られた。ところが、それがきっかけで数学好きの校長先生と親しくなり、難しい数学の問題を出してもらって、それを解くなどして、とても数学が好きになった。中学、高校でもよい数学の先生たちと出会い、大学で数学と物理学を勉強しようと考えた。
化学のケクレ教授
しかし、フィッシャーが1872年にボン大学に入ってみて、物理学の先生の講義が退屈なのにがっかりした。代わって、情熱的で新鮮な講義と研究を行っている化学のフリードリヒ・ケクレ教授に引かれ、化学に興味をもった。
染料合成のバイヤー教授
そして、すぐにストラスブール大学に転校し、出会ったのが、藍色の染料(インディゴ)の合成研究で後に(1905年に)ノーベル化学賞を受賞するアドルフ・フォン・バイヤー教授(1835~1917年)だった。
先生より先にノーベル賞
フィッシャーは、バイヤー教授の影響で有機化学の研究にのめり込んだ。プリン体などの化合物の合成に取り組み、1890年にはグリセリンを原料にグルコース(ブドウ糖)やフルクトース(果糖)、マンノースといった糖類の合成にも成功した。これらの業績でフィッシャーは1902年、バイヤー教授よりも先にノーベル化学賞を受賞した。さらにフィッシャーは1908年までに、18個のアミノ酸をつないだタンパク質(ペプチド)を合成することにも成功するなど、有機合成化学の先駆者となった。
臭いチョッキ
フィッシャーには、こんな面白い失敗談もある。
何日も実験室にこもって、ものすごい悪臭のする化合物を研究していたところ、そのにおいがチョッキに染み込んでしまった。これを旅行のトランクに入れてフランス国境を通過しようとしたら、荷物検査の係員が顔を真っ赤にして「早くそのトランクを閉めろ」と怒鳴ってきたという。どうやら、大便で汚れた衣類が入っていると思われたらしい。
弟子に鈴木梅太郎も
研究と教育に力を入れたフィッシャーの元からは、多くの化学者が育った。ビタミンB1を発見した鈴木梅太郎もその一人。鈴木は1901年から5年間ベルリン大学に留学し、フィッシャーからペプチド合成などの指導を受けた。