化学

「原子論」で化学の法則発見 気象・医学にも名を残す

ドルトン,ジョン(1766~1844年、化学・物理学・気象学、英国)

 物質のこれ以上分割できない単位として「原子」というものを最初に考え出したのは、1802年に「倍数比例の法則」を発見した英国の化学者ジョン・ドルトンだ。

 「倍数比例の法則」とは、2種類の元素から幾種類かの化合物ができる場合に、一方の元素の重量は化合物の間で簡単な整数比になるという法則。例えば、炭素と水素の2種類の元素でつくられるエチレン(C2H4)とメタン(CH4)という化合物の場合、それぞれに含まれる炭素と水素の重量の比はエチレンでは24g対4g、メタンの場合では12g対4gと、エチレンの炭素の重量はメタンの2倍となっている。

 さらに示すならば、酸化二窒素(N2O)と一酸化窒素(NO)、三酸化二窒素(N2O3)、二酸化窒素(NO2)、および五酸化二窒素(N2O5)といった窒素酸化物の場合も、窒素14gと化合する酸素の量はそれぞれ8g、16g、24g、32g、40gで、これら酸素の重量比は1:2:3:4:5と、簡単な整数比になっているという法則だ。

 ドルトンは、これらの炭化水素と窒素酸化物の実験結果から「倍数比例の法則」を得たが、基になったのが「原子」のアイデアだ。「物質を構成する元素はいずれも最小単位としての『原子』からなり、それぞれに質量(原子量)をもつ」とする考え方は、アントワーヌ・ラボアジエが1774年に提唱した「化学反応の前後で、物質の総質量は変化しない」とする「質量保存の法則」や、ジョゼフ・ルイ・プルーストが1799年に見出した「化学反応に関与する物質の質量比は、常に一定である」とする「定比例の法則」をも説明するものだった。

 ドルトンは「原子論」を1808年に発刊した『化学哲学の新体系』の中で提唱したが、それ以前の1803年10月には、自分が所属するマンチェスター文芸自然哲学協会(Lit& Phil)の講演会で語っていた。「プルーストや私が見つけた法則を理解するには、物質が『原子』からできていると考えなくてはならない」と。まさに「原子論」の初提唱の場面だが、歴史的なこの講演を聴いたのは、わずかに9人だけだったという。

 貧しい家庭に育ったドルトンは、12歳で村の小学校の先生になり、他の生徒たちに勉強を教えながら、自分でも一生懸命に勉強した。27歳で新設のマンチェスター・アカデミーの講師に招かれて数学と自然哲学を教えたが、やがてアカデミーは経営難となり、33歳の時に辞めてしまった。その後は塾の先生や家庭教師をして暮らした。

 「原子論」や「倍数比例の法則」は、そうした生活の中でのアイデアだった。そもそものきっかけは、小さい頃に興味をもった気象観測だった。気温や気圧などを測定するうちに、どこにいても同じ空気の成分である酸素や窒素などに興味をもち、詳しく研究するようになったという。ドルトンは1801年に「混合気体の全圧力は成分気体の分圧の和に等しい」という「ドルトンの分圧の法則」も発見した。

 さらにドルトンは21歳(1787年)から気象学に関する日記をつけ始め、その後57年間、亡くなる前日まで、20万回以上の気象観測記録を日記に付け続けた。この中でドルトン(Dalton)はヨーロッパで観測されるオーロラの頻度が少なかったことを記録に残し、19世紀の太陽活動停滞期「ダルトン極小期」として名付けられている。

 また、ドルトンは自分自身と親族の色覚を研究し、1794年に自らが先天色覚異常であることを論文に発表した。この先駆的な研究から、先天性の赤緑色覚異常を意味する「ドルトニズム (Daltonism)」の語源となった。