ヨハン・ウィルヘルム・リッター Johann Wilhelm Ritter
(1776年12月16日~1810年1月23日、化学・物理学、ドイツ)
地球をベールのように包むオゾン層が破壊されると、地上に降り注ぐ有害な「紫外線」の量が増大する。すると、人間を含む生物は死滅し、やがて地球は死の星となる──。こんなシナリオが、地球環境問題として考えられているというから怖い。
きっかけはハーシェルの「赤外線」発見
「紫外線」は1801年にドイツの化学・物理学者、ヨハン・ウィルヘルム・リッターが発見した。前年にドイツ出身の英国の天文学者ウイリアム・ハーシェルが「赤外線」を発見し、たちまち評判となったことから、リッターもそれに続いて、太陽光のスペクトルを調べてみてのことだった。
太陽の光(白色光)はプリズム(三角柱の透明ガラス)によって赤・橙(だいだい)・黄・緑・青・藍(あい)・紫の7色に分かれる。こうして分光された色の帯を「スペクトル」と呼び、詳しく光学の研究をしたのは「万有引力の法則」の発見でも有名なアイザック・ニュートンだった。
そのころリッターは、今では写真の印画紙の感光剤としても利用されている「塩化銀」の白い化合物が、太陽光によって黒くなる現象を研究していた。
塩化銀の黒化
塩化銀の黒化については、スウェーデンの化学者カール・ヴィルヘルム・シェーレ(1742年~1786年)が1777年に、太陽光のスペクトルのうち紫色の帯域で最も強いこと実験で示していた。
リッターは赤外線の発見を知り、改めて、塩化銀の溶液に浸した紙をスペクトルの各帯域に置いて紙の変化を調べた。すると赤色よりも橙色、橙色よりも黄色、黄色よりも緑色……といったように、確かに紫色が一番、紙の黒くなるスピードが速かった。
紫色の外側で強反応
さらにリッターは、ハーシェルが赤色の外側に温度計を置いて赤外線を発見したのと同様に、何の色も見えない紫色の外側部分に塩化銀の紙を置いてみた。その結果、紫色に置いたときよりも、もっと速いスピードで黒くなったのだ。強い化学反応を起こさせる電磁波が、太陽光に含まれていることが分かった。これが「紫外線」だった。
リッターは、現在ポーランド領の小さな村に生まれた。薬剤師として働いた後、1796年にドイツのイェナ大学に入学した。電気の実験に興味をもち、1799年に水の電気分解を行って、発生する水素の体積は酸素の体積の2倍となることを発見した。1800年には世界で初めて電気めっきを行い、翌01年には筋肉の電流による収縮も調べた。
貧困のうちに早世
1804年に彼はミュンヘンのバイエルン科学アカデミーのメンバーに選出され、結婚もした(子供4人をもった)が、大学教授になることはなく、定期的な収入もなかった。もともと体が弱かったこともあり、1810年に貧困のうちに33歳で亡くなった。