物理学

音速を超えたマッハが アインシュタインに衝撃波

マッハ,エルンスト(1838~1916年、物理学、オーストリア)

 21世紀中の実現を目指して、日本でも宇宙航空研究開発機構(JAXA)などが「超音速」旅客機や「極超音速」旅客機の研究開発を進めている。このうち極超音速旅客機は約2万5000mの高度をマッハ5のスピードで飛び、東京~ロサンゼルス間(約9000㎞)を2時間で結ぶ。さらには、約4時間で地球の全域に到達が可能になるというから、もはや国内旅行の感覚だ。

 この「マッハ数」は「音速の何倍のスピードか」という値だ。例えばマッハ1は音速と同じ(1倍の)スピードのこと。それを超えれば「超」音速となり、さらに音速の5倍(マッハ5)以上が「極超」音速となる。

 ※音速は気温15℃、1気圧(1013hPa)の標準大気で秒速約340m(時速1224 km)。ジェット機の巡航高度となる約1万m上空は気温・気圧がより低く、音速も秒速300m(時速1080㎞)ほどに小さくなる

 そもそも「マッハ」という言葉が使われたのは、オーストリアの物理学者エルンスト・マッハが、超音速と飛行物体との関係などを詳しく研究したからだ。

 マッハは26歳(1864年)のときにオーストリアのグラーツ大学の数学の教授、29歳(1867年)でチェコのプラハ大学の実験物理学の教授となった。

 ある日マッハは、プラハ市街を流れるモルダウ川(ヴルタバ川)の橋の上から、航行する船を見ていた。「もし音速を超えて動くものがあれば、その先端からは、丁度あの船の舳先(へさき)から出る水波のような波が現れるに違いない」。マッハは、物体が超音速で移動するときなどに起こる現象の解明に取り組んだ。

 煤(すす)を塗ったガラス板の上で二つの電極を同時に放電させると、それぞれから発生した球状の「衝撃波」が互いに干渉して煤がはぎ取られ、V字型の模様が出現したのを確認した。さらに彼は音波の広がりや弾丸の飛行、爆発で生じる高速気流などの様子も当時の最新の写真技法で撮影し、計測する技術を完成させた。1887年にそれらを論文で発表した。

 物体が音速よりも速く動くと、前方の空気が圧縮されて後方に波のように広がる。この波が「衝撃波」(マッハ波)で、その時に圧縮された空気が元に戻ろうと膨張する時に「衝撃音」が出る。

 雷鳴のゴロゴロという音も衝撃音だ。稲妻の1億ボルトとも言われる大量の電気が瞬時に通ることで発生する熱が、周囲の空気を音速よりも速く膨張させることで起きると考えられている。西部劇の映画に出てくるカウボーイがやるような、革のムチ先を素早く振った時のピシッという音も衝撃音だ。

 マッハの論文から60年後の1947年10月、米国のロケット飛行機が初めて水平飛行で音速を突破した。それにより、世界はいよいよ超音速飛行時代の幕開けとなったが、マッハの業績はそればかりではない。

 物理学のほかに科学史や心理学、生理学、音楽学などの分野でも研究成果を上げた。科学史の分野では『力学の発達』(1883年)、『熱学の諸原理』(1896年)、『物理光学の諸原理』(1921年)の「科学史三部作」を著した。とくに『力学の発達』では、当時の物理学界を支配していたニュートン力学による空間と時間に対する考え方を批判した。この影響をアインシュタインが強く受け、その後の相対性理論の構築にも結びついたと言われる。またマッハは、ロシア革命を指導したレーニンとも唯物論をめぐり論争した。