オットー・フォン・ゲーリケ Otto von Guericke(1602年11月30日~1686年5月21日、物理学、ドイツ)
真空はつくれる
「自然は真空を嫌う」つまり「真空はつくれない」と言ったのは、古代ギリシャの科学者、アリストテレスだった。
しかし、この考えが間違いで、真空をつくれることを証明したのが17世紀のイタリアのトリチェリとフランスのパスカル、そしてドイツのマクデブルク市長だったオットー・フォン・ゲーリケだった。
元は物理学者の現職市長
「なぜ市長が?」と意外に思うかも知れないが、実は、1646年から35年間市長を務めたゲーリケは、もともとが物理学者で「ドイツの実験科学の確立者」と言われる人なのだ。
ゲーリケは1654年5月にレーゲンスブルク市で、科学史に残る有名な公開実験を行った。直径40㎝ほどの銅製の半球を二つピタリと合わせて球をつくり、この中の空気を真空ポンプで抜いていったのだ。
そして両側から8頭ずつの馬で力いっぱい引かせたが、くっつき合った半球をなかなか引き離すことはできなかった。馬に鞭を入れて踏ん張らせたところようやく半球は離れたが、その瞬間、銃声のようなパーンという大きな音がした。見物していた多くの市民もびっくりしたという。
「マクデブルクの半球」実験
半球がくっついたのは、空気を抜いて球の中が真空になったからだ。その結果、大気の重さ(圧力)が二つの半球にかかり、離れなくしてしまったのだ。気圧の存在を示したこの実験は、ゲーリケが当時マクデブルクの市長だったことから「マクデブルクの半球」実験と呼ばれる。実際にゲーリケはこの公開実験を1657年にマクデブルク市で、1663年にはベルリンでも行っている。
世界最初の真空ポンプ
これらの実験のきっかけとなったのが、1650年に自分で発明した世界最初の、空気を抜くための真空ポンプだ。手動でピストンを何回も押し引きしながら、逆流防止弁を取り付けたシリンダー内の空気を排出していく仕組み。
ゲーリケはこのポンプを使って真空に関するさまざまな実験をした。真空中では音が聞こえないこと、火が消えること、果物を長く保存できることなどを明らかにした。半球の実験も、そうした真空研究の延長にあったのだ。さらに水を使った高さ約10mの気圧計を製作し、気圧の変化から天気を予想できることを示した。
世界最初の静電発電機
ほかにも、ゲーリケは宇宙論や磁気学にも興味をもち、地球の磁気をまねて作った硫黄の球が静電気を発生させることを発見した。これが世界最初の静電発電機(摩擦起電機)だった。